浅井ゲルマニウム研究所は、第二次世界大戦終結直前にドイツから帰国した
石炭およびゲルマニウムの研究と共に、試行錯誤を繰り返しながら歩んできた
(昭和20年)
終戦後の8月中旬、浅井一彦が私財を投じて石炭研究所を設立。採鉱学専門の佐野秀之介教授(東京帝国大学第一工学部長)と浅原源七氏(第3・8代目 日産自動車社長)の協力による設立であった。9月には浅原源七氏邸にて第一回ゼミナールを開催。実験室ができるまでは、各自文献による研究を行う。
12月1日、商工大臣より「財団法人石炭綜合研究所」の認可を受ける。この日を創立記念日とする。当時の体制は、理事長:浅原源七氏、理事:佐野秀之介教授、理事兼所長:浅井一彦、所員10名。創立当時は東京都世田谷区の浅原氏邸を事務所としていた。
敗戦後の社会混乱のなか、所員の研究者たちは石炭に関する週1回のゼミナールに参加し、浅井一彦が石炭組織学の講義をしていた。研究室も文献もない状況につき、所員は各自の出身校などで文献を写して勉強したり、既存の設備を利用したりしていた。
財団法人の認可申請書類
(昭和21年)
5月、三井化学株式会社目黒研究所の一室を借り、事務所も同所に設置。本邦炭(日本の石炭)の石炭組織学研究を開始し、従来ほとんど行われていなかった顕微鏡観察による同組織成分の分類研究を主体とする。
12月、顕微鏡による石炭組織成分の観察に成功。
石炭組織研究のための反射顕微鏡
(『炭研』1950年1月号(創刊号)より)
(昭和22年)
『石炭綜合研究所所報』第一号を発行。石炭組織の研究成果や石炭構造のX 線解析による研究成果について報告。
『石炭綜合研究所所報』第二号(1948年発行)より
(昭和24年)
4月より「民間学術研究機関」として文部省の監督を受ける(通産省との共同監督)。
6月より石炭中のゲルマニウム資源と抽出法の研究を開始。特に北海道の茅沼(かやぬま)炭中のゲルマニウムの研究に重点を置く。
(昭和25年)
石炭綜合研究所の機関誌として月刊の『炭研』(石炭綜合研究所所誌)を創刊し、1月に創刊号を発行。掲載内容は研究成果の論文および報告、外国文献抄録、他。対象読者層は炭鉱関連企業、技術者、学校、研究所、試験所等であった。なお同誌は1960年12月の創立15周年記念号まで発行された。
『石炭綜合研究所所報』第二号(1948年発行)より
(昭和26年)
4月、石炭灰の組成分析を分光分析により定量する研究と、本邦炭中の希元素の分布に関する研究に着手した。
茅沼炭のゲルマニウム定量結果(『炭研』1951年12月号より)
(昭和27年)
本邦炭の燃料製造時に排出される乾留ガス液を東京ガス社大森工場にて採取して分析したところ、ゲルマニウムの含有を確認。同社との共同研究として、乾留ガス液からの二酸化ゲルマニウム(無機ゲルマニウム)抽出研究に着手。
TK式ガス発生装置
半導体材料用の金属ゲルマニウムについての官民研究組織「ゲルマニウム研究委員会」(1952~1954年)に石炭綜合研究所所員の研究者も参加し、研究を開始する。研究内容は石炭中のゲルマニウムの分析法、ガス液中のゲルマニウムの存在状態および含有量、ガス液からのゲルマニウムの抽出、有機ゲルマニウム化合物の研究(同化合物類・合成法の調査、合成実験)、他。
同委員会の研究成果は書籍『ゲルマニウム』にまとめられた
(1956年発行)
5月、私立研究機関として大蔵省より指定を受ける。
10月、東京ガス社大森工場の石炭乾留ガス液での中間試験にて、無機ゲルマニウム(二酸化ゲルマニウム)の抽出に世界初成功。
(昭和28年)
日本化学会第5年会にて発表(1952年4月6日)した本邦炭中のゲルマニウム含有量について、論文発表。北海道の茅沼(かやぬま)、本州、九州産出の石炭を分光分析した結果、地質時代の比較的新しい炭田中にゲルマニウムが高頻度で検出されたこと等について報告。
[本邦炭中の無機微量成分に関する研究(第1報), 日本化學雜誌, 1953, 74 巻, 1 号, p. 19-22]
二酸化ゲルマニウム蒸留装置
1月、石炭乾留ガス液より抽出した無機ゲルマニウム(二酸化ゲルマニウム)から、多結晶の金属ゲルマニウムの製造に成功。
成功直後の当時の報告(『炭研』1953年1月号より)
東京ガス株式会社の関連会社(関東タール製品株式会社)から無機ゲルマニウム(二酸化ゲルマニウム)を試料として提供開始。この試料は「ゲルマニウム研究委員会」および「ゲルマニウム応用委員会」参加の研究所・企業に提供され、電気的特性実験やゲルマニウム検波器試作等が行われた。
(昭和29年)
電波技術協会内に「ゲルマニウム応用委員会」が設置され、無機ゲルマニウム(東京ガス-石炭綜合研究所社製)の製錬(還元・精製)を実施。
同委員会参加の各種半導体開発企業では、製錬金属ゲルマニウムによる各種実験やトランジスタ試作を担当した。
精製後のゲルマニウムインゴット(長さ約30cm)と引上げ法で作ったゲルマニウム単結晶(書籍『ゲルマニウム』(1956年発行)より)
(昭和30年)
ビトリニット(植物の木質部分に由来)等の石炭微細組織成分中のゲルマニウム含有量の分析を開始。
また、ゲルマニウム化合物の研究を東京大学理学部、お茶の水大学理学部と共に開始。
ゲルマニウム化合物について(『炭研』1955年10月号より)
(昭和34年)
無機ゲルマニウム(二酸化ゲルマニウム)果糖液のX線による放射線予防効果については、1956年に東京大学伝染病研究所および石炭綜合研究所における動物実験によりほぼ確認され、1958年に同大学が第17回日本医学放射線学会にて学会発表していた。この研究成果が1959年2月の『日本医学放射線学会雑誌』に掲載される。
[日本医学放射線学会雑誌, 1959, 18 巻, 11 号, p. 1496-1532]
上記論文より
(昭和35年)
12月、日本石炭協会、東京電力株式会社、東電不動産株式会社の支援を受けて、川崎市小田栄町の東京電力用地に研究所を移転。
川崎市小田栄町の研究所
(昭和39年)
ゲルマニウムの錯塩溶液の製造方法と生化学的研究について着手。
(昭和41年)
『日本鉱業会誌』(社団法人日本鉱業会発行)にて、植物中のゲルマニウム含有量の分析結果および見解を発表。翌1967年には、同内容について『教育と医学』誌(慶應通信株式会社発行)にて詳しい見解を発表。
[随想 ゲルマニウムとともに20年:日本鉱業会誌, 1966, 82巻, 940号, p.649]
[ゲルマニウムとともに二十年:教育と医学, 1967, 15巻, 3号, p.89-94]
「ゲルマニウムとともに二十年」(浅井一彦)
(昭和42年)
世界に先駆けて、水溶性有機ゲルマニウム(※β-Bis-carboxyethylgermanium sesquioxide)の合成を完成させる。医薬用途への可能性に着目し、基礎研究等を開始。
※以後は“2-carboxyethylgermanium sesquioxide”の化学名で発表(現在の「アサイゲルマニウム」)。
水溶性有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の粉末
(昭和43年)
水溶性有機ゲルマニウムの研究のため、東京都調布市に私設の研究・製造拠点を設置。
日本化学会第21年会にて「β-シアンエチルトリクロルゲルマン誘導体〔有機ゲルマニウム〕の合成」を発表。
日本化学会での発表内容(日本化学会編『講演予稿集』第21年会(1968年) 3より)
(昭和45年)
水溶性有機ゲルマニウム「2-carboxyethylgermanium sesquioxide(※)」の医薬品としての研究開発を開始。
※当時の開発番号として「Ge-132」が使われる。
(昭和46年)
東京都狛江市の工業団地に研究・製造所を設置。
水溶性有機ゲルマニウム「2-carboxyethylgermanium sesquioxide(Ge-132)」の安全性試験を大学、その他施設との共同研究にて開始。急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性試験、他。
12月に『浅井ゲルマニウム研究所誌』Vol.1 No.1を発行。有機ゲルマニウムの合成法、赤外線吸収スペクトル、急性毒性試験、亜急性毒性試験、高血圧自然発症ラット(SHR)に関する研究成果について報告。
『浅井ゲルマニウム研究所誌』表紙
(昭和50年)
12月、個人研究所であった浅井ゲルマニウム研究所を法人化。
(昭和51年)
1975年1月から着手していた「2-carboxyethylgermanium sesquioxide」の化学構造決定について、論文が米国化学会誌J. Am. Chem. Soc.に掲載される。
アサイゲルマニウムの網目構造(前述論文より)
(昭和52年)
アサイゲルマニウムの需要増加への製造対応と研究内容の充実のために、研究所を新築の狛江研究所に移転。2月11日(建国記念日)に開所式を開催。
狛江研究所(開所式)
(昭和54年)
研究者による全国規模の学術集会である「第1回ゲルマニウム研究会」を開催。以後、1991年まで20回にわたり継続開催し、基礎的・臨床的研究を実施。
生理活性として、1)免疫調節作用 2)抗変異原性作用 3)抗腫瘍作用 4)抗ウイルス作用 5)鎮痛・抗炎症作用 6)血圧調節作用 7)抗白内障作用(メイラード反応抑制作用) 8)臓器保護・抗酸化性作用 9)骨代謝改善作用、他を学術誌に報告。
(平成3年)
有機ゲルマニウムによる各種糖の異性化促進作用について研究を開始。
WHOが、有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の化学名を「poly-trans-[(2-carboxyethyl)germasesquioxane](ポリ-トランス-2-カルボキシエチルゲルマセスキオキサン)」に正式決定した。
(平成9年)
東京都道路整備計画に伴い、製造部門および研究部門を北海道函館市へ、本社部門を神奈川県川崎市へ移転。(狛江研究所は閉所)
函館研究所
無承認無許可医薬品を製造販売したとして、薬事法違反の告発を受ける。
(平成10年)
薬事法違反について略式命令にて結審。
株式会社ビレモサイエンスに社名(商号)変更。健康食品・化粧品原料の製造・展開、工業用素材などの研究開発を開始。
(平成12年)
株式会社浅井ゲルマニウム研究所に社名(商号)を変更。
(平成14年)
米国化粧品工業会(旧CTFA、現PCPC)に化粧品成分の国際的表示名称(INCI名)および翻訳名として、日本化粧品工業連合会作成の『化粧品成分表示名称リスト』に「レパゲルマニウム(repagermanium)」を登録。これにより、化粧品分野でも、アサイゲルマニウムの使用が可能になる。
(平成24年)
6月、(公益財団法人)日本健康・栄養食品協会の「健康補助食品GMP」適合工場(製剤・包装)の認定を取得。
※2018年6月には、原材料(アサイゲルマニウム)製造の「健康補助食品GMP」適合認定を取得。
GMP認定証
(平成27年)
アサイゲルマニウム(Ge-132)と生体中の重要な生理活性分子であるATPやアドレナリン等との相互作用(錯体形成)研究について英国医化学雑誌Future Medicinal Chemistryに論文掲載され、生体への作用性が確認される。
ATPやアドレナリン等との相互作用
(令和元年)
11月、アサイゲルマニウムが、健康食品原料の有機ゲルマニウムとしてはじめて、(公益財団法人)日本健康・栄養食品協会の「健康食品の『安全性自主点検』認証登録制度」(※)に認証登録される(コード番号:19A001001)。
健康食品の安全性自主点検認証登録証