株式会社浅井ゲルマニウム研究所の創設者であり、アサイゲルマニウムの生みの親である浅井一彦。 戦後の社会混乱の中、時代を先取りしたビジョンを掲げながら、確固たる信念とひたむきな情熱、そして人一倍の努力により、日本の石炭産業や科学の進歩に大きく貢献しました。また、生き生きとした温かい人柄でもって、国内外の様々な境遇の人とも交流しました。
ここでは、苦難の道をたどりながらアサイゲルマニウムを創製した浅井一彦の生涯を、大きく3つの時期に分けてご紹介します。
幼少~ドイツ滞在期
(1908~1945年)
石炭綜合研究所期
(1945~1968年)
浅井ゲルマニウム研究所期
(1969~1982年)